yoshiakist

パーティーもそろそろ終わり

以前から気になっていた『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んでいる。
1ページ捲るごとに激しく頷くような読書体験は久々だったので、読書メモがてら感想を書いてみる。

37歳にもなり、いよいよ本格的にアラフォーの仲間入りだなと感じることが多い。35や36だと「ギリギリ30前半からちょっとはみ出したようなもん」みたいな謎の言い訳を心の中でしていた気がするが、37となるともう明らかに、全くもって通用しない。
phaさんのように何も背負わないで生きていたいと心のどこかで思いつつも、気づくと何らかの責任が増えている。

シェアハウス暮らしをやっていたという彼の話を読んでいると、そういえば私もゆるい部室のようなスペースを作ってみたいと常々言っていたのを思い出す。
いろんなことにすぐ興味が芽生えるので、その活動の拠点となる場所がずっと欲しいと思っていた。写真、自転車、ボードゲーム、執筆、個人開発などなど、似たような趣味がある人と集まって何かしたい欲求が常にあった。
が、それを実際に行動に起こせる人っていうのはやっぱりすごいもので、私なんぞはブログでこのようにお気持ちを表明する程度にとどまっている。一応まだそういう夢というかイメージみたいなものは持っていることにしているが、具体的には何もしていない。実現しないまま死んでいく可能性の方が極めて高い。

そういえば北海道にいた頃に知り合ったゲーム好きの集まりがあり、今でも頻繁にDiscordでやりとりしているのだが、その中に川田さんという人がいる。私とは別の軸で様々なことに興味があり、休日はだいたいバイクとか照明とかPCとか、何かしらの機器類をいじりまわしては逐一その報告をしている。少し変わってるけど気さくで楽しい人だ。
いま思うと、彼の家に集まってクリスマス会などやっていた頃はそうした「集まって何かしたい」欲求をうまく発散できていた。

その川田さんにチャットで「昔あれだけ楽しかったゲームやアニメ鑑賞を積極的にやれなくなった」とぼやいたりすると、必ず即レスで「老化だな!」と言われる。前はそれに対して「いやいや、老化ではなくて、どんどん変化しているってことですよ」と内心で反発していた。
が、やはり彼は正しく、30前後でいきなり老化してエネルギーを失っていっただけなのかもと受け入れられるようになりつつある。こう思うこと自体、もう立派な老いというものである。

今でもたまに頭の中でサービスやアプリケーションのアイデアがどんどん湧いてきて、それをメモに書き留めることはある。
いろんなWeb開発のノウハウを蓄積し、やる気になればどんなアプリケーションでも開発できそうな気がしている。だが今は、最も重要なその「やる気」が湧いてこない。

そういえば、学生の頃に少し付き合っていた人と「大人になること」について会話を交わしたことがある。その際私は、「自分がどんどん変わっていく感じで落ち着かない」などと言った気がする。
たしか7つぐらい年上だったその人は、話を聞き終えると「わたしはどっちかっていうと、どんどん『自分』になっていく感じがするけどね」と呟いた。そこに垣間見えた自信と安定感ゆえか、素朴にカッコいいなと思ったことをなぜか覚えている。
今の私はそんな風に、なりたかった自分に近づけているだろうかというとそんなことはなく、未だにphaさんの言うような現実感の無さというか「見えない薄皮」に包まれている。「ちゃんとする」のが苦手なまま、ただ流されて南の島に漂着したという表現の方がしっくりくる。

喪失をヒシヒシと感じているphaさん同様、私のパーティーもそろそろ終わりそうである。ただ、ギリギリ40ではないので…… 何かフィナーレを用意したい。