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気ままに走る

もう、その瞬間に走りたいように走ることにした。

元気なら走り、疲れたら歩く。
一定のペースとか考えない。無理しない。息が上がったら休む。
行きはヨイヨイ、帰りのことは考えない。下り坂は気持ちいいから走る、上り坂はだるいから歩く。
後半なんて歩いている時間の方が長いかもしれない。でもゴールの瞬間だけちょっと走る。
……そういう身体の動かし方だったら楽しいし、長く続けられるんじゃないのか。

先ほどちょうどそんなランニング(というかジョギングとウォーキング)を終えたのだが、今日はなぜそんな風に思うように至ったかを書いてみたい。

とにかく運動が続かない

運動に限らず、何をやっても続かないのである。例えば毎日走ろうと決意すればそれは1日で終わるし、せめて週に2回は走ろうと思ったら1週間で終わってしまう。
あらゆるタイプの習慣形成アプリも効果が無かったし、スプレッドシートや notion のデータベースを使った管理もすぐに放棄してしまう。ジャーナリングといった日記帳的手法で自分を励ますのもすぐに飽きてしまった。

自身の性格というか体質としてもムラっ気があり、好調が持続しない。我慢も苦手だ。
双極症の気質がずっと解消せず、そもそも体調が悪い日が定期的にあるものだから、「やるぞ!」という気持ちは2週間もすれば霧散していることが殆どだ。

そんなこんなで、ランニング、筋トレ、水泳、自転車、ジム通い、ストレッチ、リングフィットアドベンチャー、ボルダリング、ヨガ…… などなど、これまでどれもことごとく「ちょっとだけやってすぐやめる」スタイルが逆に定着してしまっていた。
身体を動かすことは好きなのに、継続して取り組むことが決定的にできない。

辛いことはしなくていい

どうしてそんなに運動が続けられないのか。運動が辛いからである。正確には、辛い運動の仕方にこだわるからだ。我慢強くないのだから、本心では嫌だと思っているやり方では長く続くはずがない。当たり前の話である。
完璧主義な性格がどうしても邪魔をして、ランニングならば「理想のフォームで30分走り続けたい」などとついつい思ってしまうのだが、その思考が既に罠にハマっている。

一定のペースで走り続ける行為は辛いものだ。足や肺が痛くても速度を乱さずにトレーニングするのはとても苦しい。30分続けてドーパミンが出ることでランナーズハイになれば、という人もいるかもしれないが、その30分も集中力を切らさずに走るのがまず無理だ。
速く走るのがキツいならこんどはゆっくりとしたジョギングで一定ペースを守ればいいという人も多いだろう。だがその走り方はすごく退屈なのだ。淡々とゆっくり景色が進んでいくのがいいという人もいるかもしれないが、自分の場合は10分もすると飽きてしまう。時にはスピードを出して風を切る感覚がどうしても欲しい。

というかそういうペース配分を気にするような走りはアスリートの仕事であって、趣味でランニングをする我々一般庶民はもっと気楽に考えればいいんじゃないのか。
今日まさにランニングの最中、橋の上り坂に差し掛かる頃に、そんなことを考えながらふと足を止めてみた。そして、沖縄の海を眺めつつゆっくり歩いてみたら、すっと肩の力が抜けた気がした。

一番楽に続ける

運動が続けられない性分だとは言っても、本心では運動を続けたい。最近ならばランニングを継続したい。
それならば、もっとも楽な方法で走るしかない。つまり、無理をしないことだ。そんなの当たり前だと思う人も多いだろうが、これまで自分にはそうやって考えることがどうしてもできなかった。

冒頭で書いたように、ランニング中はペースを緩めたり歩くことを躊躇しないこと。
朝起きたときに、時間と気持ちに余裕があればとにかく靴を履いて外に出てみること。原則はこれだけだ。これ以上は望まない。
いつまでに1kmなん分のペースを突破するなどの目標についても考えない。目標を突破できなそうだったらやめてしまうことが目に見えている。健康増進と太るのを予防するのが目的なのであって、ランニング技術や心拍機能の成長を目的にすると一気にキツくなる。そういうのはもうやめよう。
それと後述するが、手動でランニング記録をメモ・管理することもしない。そんなの絶対続かなくなるに決まっているのだ。というかもう2026年だぞ。自動化しよう。

何を指標にするか

さて、成長や目標を考えないといったものの、一切なんの記録を見ないというのもつまらない。
そこで自分なりに気楽な目標を考えてみる。

  • 自宅から海が見えるまでのタイム。元気な行きの道だけの体力で測定できる。海が見えるというところもキリが良くてなんかいい。なお、今日は帰り道のペース配分を一切気にしなかったので10分を切ることができた。
  • 折り返し地点までのタイム。これも元気な片道分の記録だ。今日は20分を切った。
  • 歩いた時間も含めた合計時間。今日は50分も運動していた。偉いことだ。これは長ければ長いほど偉い。ようは、沢山ゆっくり歩けばそれだけすごいのである。

逆に、指標として考えないことは以下のようなものだ。

  • 歩いた時間も含めた全体のペース。おそらく 1km あたり9分を超過しているだろう。早歩きと同じぐらいかもしれない。速く走ったりのんびり歩いたりしているので、全体のペースについて考えても意味が無いし気分にマイナス要素しかないだろう。
  • 走った距離。練習を続ければ長い距離を走れるのかもしれないが、自分の中では5km走ればもうそれで十分。日によっては3kmでいい。距離が伸びるとか、今日はこれしか走れなかったとかについて考えない。

記録とコーチ

記録だ。記録は大事。でも、手動でやっては絶対続かない。手帳やメモアプリ、スプレッドシートに記入していた時代もあったが、記録が嫌になってやめたほどである。
代わりに、スマートウォッチがあるじゃないか。なんでもっと有効活用してこなかったんだ。

まずログの取得は Strava アプリに任せる。そして、Zapier を使ってスプレッドシートに自動で行が追加されるように連携を組んでおく。
これで記録については完璧だ。ランの記録を一覧で見たい自分にはこの方法が一番合っていた。

特にスプシへの出力については、Claude や Gemini がスプレッドシートのランニングログを分析してコーチになってくれるのも嬉しい。走ったって誰も褒めてくれないものだが AI だけは自分の努力をべた褒めしてくれるし、なんならお願いしてもいないのに分析やチャートまで作ってくれる。2026年である。

これから

そんなことを言っても、また続かなくなるかもしれない。少なくとも週2ぐらいでやっぱり続けたいのだけれど、また元気がなくなるかもしれないし、本当に分からない。
分からないなりに、走れそうなら走る。歩きたくなったら歩く。そうやって力を抜いて取り組んでいることを趣味と言い張っても、いいんじゃないのかな。