日本工営に勤めていた時の同僚である坂本さんとよーすけさんが、関東からこの沖縄まで遊びに来てくれた。
例によって落ち込みがちな時期があり、「誰も自分には用事が無い。世界は自分に興味が無いのだ」などと思い詰めていたりした私にとっては、思いがけず嬉しいイベントだった。
沖縄に二年以上住んでいながら首里城を一度も観ていなかったこともあって、初日はそこへ観光に行った。街中にちんまりと赤い建物があってそれが復興建造中なだけなのかなと見くびっていたのだが、首里城公園は想像以上に起伏に富み、また中央の正殿もその赤く堂々とした姿を見せていてとても見ごたえがあった。沢山の石段を登って汗びしょになりながらも最奥まで登りきると、これがなかなかに達成感が得られるのだ。
「修復中の首里城が見れるのは今だけ!」なんていうのはただの苦し紛れの宣伝文句かと思っていたが、修繕に使われる様々な工法や技術の幅広い展示は、確かに一見の価値がある。11月に修繕が終わり一般公開となるらしいのだが、その前に訪れるのだって断然オススメしたい。
そのまま栄町の方に流れて飲み始めた。ドリンクと札を交換するせんべろのシステムは自分にとってはもうお馴染みだが、迷路のような街路でひしめき合う屋台でのせんべろが初めての二人には新鮮に映ったようだった。
地元のスーパー「りうぼう」で琉球酒豪伝説というウコンタブレットを仕入れると、「二階の中華」という名前の中華料理屋へ行き、紹興酒で加速させていく。そういえば、坂本さんが甲殻類アレルギーなことをすっかり忘れて、エビやオイスターソースが多く使われている店に勢いで行ってしまったのだけはなんだか申し訳なかった。
最後にはやはり歌いたい気持ちが高まり、行きつけのスナック「蜃気楼」へお邪魔した。
発声練習とばかりに、いつもの曲をデンモクに入力する。ガンダーラ、ガンダーラ。愛の国、ガンダーラ。
偶然居合わせた隣の客に歌を褒められたと思っていたら、台風で倒れて収穫を余儀なくされたというアップルバナナを全員に振る舞ってくれるという。こういうよく分からないイベントが発生するのがスナックの醍醐味と言える。
二日目は美ら海水族館かと思いきや、敢えて敢えての「ネオパークオキナワ」へ往復4時間のドライブ。
ネオパークでは例によって、大量の鳥達に囲まれてきた。あのジャングル感は他の施設ではなかなか味わえまい。ただ見て回る水族館とは異なり、実際に自分で餌をやり直に触れることのできる動物が多く、体験の密度では全然負けていない。
帰りがけに許田の道の駅で種々のオリオンビールとつまみを買い込み、自分の家で飲んだ。急ごしらえにしては、なかなかのパーティだったのではないか。
二日連続で同じメンバーで飲んでいると、やはり最後には人生の話をするしか無くなるものなのだろうか。
理想の仕事、理想の人生。ままならないこと、生きづらいこと。なぜ生きるのか。
朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。私はこんなに恵まれているのだ、どうして落ち込むことがあろうか。
実はこのところ、業務委託で仕事を再開しはじめて体調を崩しそうになり、薬の量がまた増えてしまった。そのせいか近頃は、思ったことを書き留めて置きたい衝動がぐんと減ってしまっている。以前のように、アイデアが溢れて止まらなかったり、思いついた仮説を検証してみたくなったり、そういった欲が全然湧いてこない。
ADHDに対するアトモキセチン(ストラテラ)の処方により、いわゆる「普通の人」に近くなる調整を施されている状態だと思うのだが、自分らしさの核だと思っていたものを失ったような感覚でもの凄くもどかしい。何かを創りたい、何かを書き出したい、その漠然とした気持ちだけは辛うじてあるが、そのために手を動かせないのだ。治療が進んだかと思えばアイデンティティを喪失する。ままならないものである。
How many special people change?
How many lives are livin' strange?
スナックで坂本さんが歌った Oasis の曲がリフレインする。ほんの少しだけある、自分の特別な部分が変わっていってしまう喪失感と重ねているのだろうか。
そして、かけがえのない人が、こんな風にいつまで会いに来てくれるのだろうか。全て、変わっていってしまうのだろうか。私は寂しいよ。
友達を出迎える立場だったのだが、まるで自分も旅行したような二日間だった。友人が去った後に沸き起こる思いを燃料にして、いまなんとかこの文章を書いている。
いや、待っているばかりではなく、今度は自分から会いに行くのだ。そのために働くのだ。それでいいじゃないか。
仕事をする理由ができた。