※ この記事には『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のネタバレを含みます
ゆる言語学ラジオの「プロジェクト・ヘイル・メアリーはいいぞ」回の冒頭5分だけを聴いて中止した。いつか読むかもしれないのでネタバレを避けるために一応止めておいた。
その後何ヶ月か経ってから骨しゃぶりの人もブログでオススメしていて、さてどんなものかと思い読んだ。
結論としては、例に漏れず私も「プロジェクト・ヘイル・メアリーはいいぞおじさん」に成り果ててしまった。
刊行から2年ほど出遅れてしまったが、別に流行りの物語を読むことは重要じゃない。この本に出逢えてよかった。
ラジオで堀本さんが推奨していたように、本書の最高の読み方は「Amazonなどのあらすじ紹介を見ず、背表紙はおろか表紙すらも見ずに購入を完了する。そして冒頭の図もスキップし、友達や家族に一文目のページを開いてもらった状態から読み始めること」となる。現実的には不可能に近い。
知り合いに紹介するときもネタバレを極力しないようにしたくて、それでも尚強く推薦しようとするが何も語れず、結果としてただ「いいぞ」と繰り返す生き物になってしまう。
まだ未読の人がこの文章を読んでいるとしたら、悪いことは言わない。ここで引き返して、ブラウザのタブを閉じ、今すぐ書店に行くかkindleの販売ページを開いて欲しい。
以下はネタバレを大いに含む感想が書いてあるので、知らないまま読み進めるとあなたの人生を損なうことになってしまう。
警告はした。
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さて、堀本さんをはじめ多くの人が「この本の一貫したテーマは『友情』だ」としている。そこについては異論無いが、私の場合はどちらかというともう少しシンプルに「これは勇気の物語だ」と感じられた。
例を挙げればキリがないが、例えば:
- 周囲からどのように評価されようと、自身の説を曲げずに論文を発表すること。
- 一度研究の任を解かれても、子供達の未来のために謎の物質の研究継続を申し出ること。
- 記憶の無い中、未知の状況を解明するために知識を総動員して重力加速度を測定すること。
- 異星人のものと思われる宇宙船に襲われるかもしれないのに、宇宙船を止めること。
- 危険な船外活動を行い、異星人と交信を試みること。
- 何を考えているかも分からない異星人との言語的コミュニケーション手法を確立すること。
- 地球のために、墜落するリスクを承知でサンプル採取に臨むこと。
- そして、自身の帰還可能性と命を捨ててでも、ピンチに陥っているであろうロッキーを救うこと。
物語に出てくる全てのエピソードがグレースの持つ勇敢さから紡がれていく。ロッキーと出逢う以前から、ずっと彼の中心には勇気が存在していた。
地球パートにおいて、彼は帰還できない片道切符の旅を頑なに拒否した。そのことについて自分のことを「臆病者」と言っていたが、多分この本を読んだ人はそのようには思わないだろう。あるいはその時点で臆病に振る舞っていたとしても…… なんというか、臆病であることと勇敢さは両立するのではないか。
ただ「死にたくない」というより、「地球でさらなる研究を重ねた方が人類の生存に寄与できる」と心から信じていたというのが正確ではないか(本書で語られてはいないので、私の勝手な想像だ)。
義を見てせざるは勇無きなり。彼は科学者として地球でこの問題に取り組むことにより強く義を見出していただけのように思える。
トロッコ問題のレールの片方には友が、もう片方には自分が横たわっている。スイッチを切り替えるレバーを握っているのは自分。そんな状況に置かれて自分が死ぬ方にレバーを動かせるのは、とてつもない友情の成せる業というよりかは、やはり彼の根本が勇敢だからだ。
もちろん、臆病だった主人公がロッキーとの友情により勇敢に振る舞うところに感動する、とまとめることも可能だ。が、私としてはより広義な「勇気の物語」として本書を賞賛したい。
さて、もしプロジェクト・ヘイル・メアリーをまだ読んで無いのにここまで読んでしまった人は気の毒なことだが、それでも。
プロジェクト・ヘイル・メアリーはいいぞ。