yoshiakist

香りが運ぶ記憶

最近、コーヒー豆の焙煎を趣味として始めた。小さな手網とカセットコンロを使い、ベランダをチャフだらけにしながら週末に豆を炒っている。

まず焙煎したのは、「焙煎入門セット」に同梱されていたブラジル、コロンビア、そしてグアテマラ。初めて炒ったブラジルは加減が分からず中炒りとなり、舌を突き抜けるような酸味が残ってしまった。苦労して抽出した初の自家焙煎珈琲の味は、苦味系が好きな自分が想像していたものとは到底かけ離れていた。
……が、不思議なことにこの酸味が嫌らしくなく、美味しく飲めたのだ。何といっても、冷めて最後の一口になっても美味しさが持続しているのに驚かされた。自分が焙煎してかつその直後というバイアスは多分にかかっているのだろうが、それでも良いものは良い。

後日、調子に乗ってマンデリンの生豆 1kg を購入した。
まず、ダイニングテーブルを清拭してその上に豆をざーっと出し、欠点豆をハンドピッキングで取り除く。YouTube でやっていたのを見よう見まねで、なんとなくのフィーリングで選んでいく。これで15分。
次に、50g ずつ手網に移して、カセットコンロの上でひたすら振る。1バッチで18分。これを4回繰り返す。
準備や片付けを含めると、約1時間半ぐらいかけてようやく 200g ほどの豆ができあがる。

専門店なら1,000円ほどで購入できるものを、こんな風にわざわざ時間をかけて作っている。
かつて、仲間や友人から「生き急いでるよね」と言われることが度々あった。今や、このような営みを自分から進んでやるようになった。自分も本当に歳を取ったんだなぁなどとしみじみ思う。


さて、自宅から歩いて3分ほどの近所に「喫茶 燕」という喫茶店がある。過去に、この記事でもお店を紹介している。
豆を自分で焙煎するようになったからこそ、定期的に専門店で「正解」の味を確かめにいくべきだとも思っていて、たまに足を運ぶようにしている。
そこのコーヒー、なんと森彦から豆を仕入れているのだという。そのことをお店の方から聞いた驚きと懐かしさで思わず文章を書いている。

札幌に住んでいた時、よく森彦に行っていたものだ。ひどく懐かしい。さすがに味や香りまで記憶している訳では無かったのだが…… 高校からの友人であるじょるの君に教えてもらって、初めて森彦本店に行ったあの時。あの古い木造家屋の床がコトコトと鳴る音や、しっかりと重たいコーヒーカップの持ち手の感触、それらが織りなすあの何とも言えない雰囲気は、今でもまだ覚えている。

喫茶 燕では、森彦の豆で入れる「コーヒー」と、安座間珈琲から仕入れた豆で淹れる「オーガニックコーヒー」の2種を出してるそうだ。今日はいつもの森彦のコーヒーではなくオーガニックの方を選んだところ、柔らかい酸味の中に僅かに生豆の "青い" ニュアンスが混じっており、それが香りを複雑なものにしている。こういう違いを感じ取れるようになったのも、自家焙煎をするようになったからだろうか。
「自分達で焙煎も考えたんですけどね。旦那がほんっとに凝り過ぎてこだわり出すとなキリが無いから、焙煎はやらないことにしたんです」だそうだ。普段からコーヒーに慣れ親しんでいるプロがそう言うのだから、焙煎とは本当に果ての無い道ということだ。

森彦の話題に花を咲かせていたら、その森彦こそがお店を作るきっかけになったといっても過言ではないのだそう。
「沖縄で森彦みたいなコーヒーを出したい!と思ってこのお店を始めたんです。結局は豆を仕入れるようになって、なんというか『そのもの』になったんですけどね」とのこと。
が、こちらではコーヒーやケーキの他にソーキそばも出しており、このあたりは完全に沖縄ナイズされているところにクスっときてしまう。

……それにしても沖縄で、自分が最も好きな喫茶店の味が楽しめるなんて、すごい偶然というかなんというか。
お会計の時に「最近、豆を自分で焙煎するようになりまして…」なんて一言話しかけたら、すっかり盛り上がってしまった。身近にコーヒー沼にはまってる人がこれまでいなかっただけに、思いがけず楽しい一時となった。
何の気もなく始めた趣味が、唐突に、離れた時空を繋いだ。そんな、ちょっと不思議な気持ちになった日曜の午後。