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二十段階で解る漫画付き般若心経講座

般若心経を、二十段階の難易度に分けて繰り返し訳す…… という本を出版したいなと思って、いまその中の五段階目まで書いている。
息抜きに、ブログとして今やっていることについて語ってみようと思う。

般若心経はムズい

はっきり言って般若心経は難しい。仏教の用語も含め、「空」の概念や中観・唯識思想について理解を深めていくためには何冊か本を読まなければならない。いや、それでもようやくおぼろげな輪郭が見えてくるだけだろうか。
それでも、般若心経は何度も何度も味わえるほど、奥深く面白いものだと思う。完成された真実の智慧、と訳されるだけある。

その面白さを味わうため、いろいろなお坊さんや仏教学者が般若心経の解説本を書いている。
たいていは、柔らかな言葉遣いで、様々なメタファーを駆使し、どんな人にもできる限り伝わるように身を砕いて書いているのがよく分かる本に仕上がっている。自分で訳を付ける作業をしているから分かるのだが、どの著者・編集者もさぞ苦労したことだろうと思う。

が、それでも一冊読んだだけでは深く理解できない。難しい概念について学ぶときには多かれ少なかれ、簡単な書籍から入ってどんどん難しい本にステップアップしていくものだ。
そこで、複数のステップで繰り返し般若心経の訳文をつけ、その読解を徐々に深めていくスタイルにしたらもっと面白いのではないかいうのが発想のスタートだった。要は、1シリーズ読めば、般若心経のエキスパートになれる本。これはもしかしたらモノになるかもと思ったのが、4月。そこから構想を練りつつ、今に至る。

どんな本になるんだろう

般若心経の言っている核心部分は、もしかしたらその一部なら、幼稚園児にも通じるかもしれない。もしくは小中学生が読んだって、大人が読んだって、それこそお寺の住職が読んだって面白い般若心経の解説本というのが、でき得るかもしれない。そんな感じで、二十段階の難易度に分けて、徐々に繰り返し般若心経の訳をしていっている。

この執筆プロセスを通じて、私自身がものすごく般若心経に詳しくなれるだろう。
なんせ、最終的な難易度の想定読者は博士レベル、住職レベルを超えて、空海レベルを目指している。もしかすると、高レベル部分の執筆には何年も、あるいは十年以上かかってしまうかもしれない。

文庫一冊ではおそらく収まらないだろう。レベルが1あがるごとに、訳注の量が倍々になるようにしているから。実際にはレベル10以上になると倍々にはできず、1.5倍や1.1倍に収束していってしまうだろうけれど、それでももし万が一かき上げることができたら、おそらく文庫4冊分とかになるのではないだろうか。壮大過ぎる計画だ。

どうやって書くか

例えば、想定読者を幼稚園児とした「般若心経 レベル1」の私なりの訳はこうだ。

わかっちゃった、「ぜったい」なんてモノは、ないんだ。

般若心経の276字をこれだけの情報量に圧縮している。超訳なんてものではない。
こうした訳の執筆にあたっては、まず訳文を自分で書き、それを AI に叩いてもらうことにしている。ヒントは貰うけれど、できるだけ自分で欠点を修正して、自分の頭で考えて文をひねり出すようにしている。

そういう風にやっていく中、AI はプログラミング言語よりもむしろ仏教の方がはるかに詳しいのではないかと思わされっぱなしである。全体の構想をまとめているだけで、AI側からはやれ「サンスクリット語の原義」だの、「阿頼耶識」だのが次から次へと湧いて出てくる。ちょっとディスカッションするだけですぐに頭がパンクしそうになるのだ。
それでもなんとか、自分の言葉に直して、自身で理解できる範囲の言葉に置き換えていく。この範囲が徐々に拡張されていく結果として、大人レベルや博士レベルの訳文が書けるようになったらいいなと思う。

それともう一つ、この本の大きな特徴として、漫画付きであるという点がある。
漫画についてはいまは試しに AI をつかって出力しているだけなのだが、いざ本当に出版社に掛け合う際には、誰か漫画家さんに依頼したいと考えている。誰か相談に乗ってくれる人いないかな。

発心してるのか

ところで、仏教用語に発心(ほっしん)という言葉がある。いわゆる、悟りを得ようとして仏の道を求める心を起こすことである。
これは仏陀になるという強い決意のことであり、ここから出家したり、仏道修行を歩み始めたりしちゃう第一歩を指す言葉だ。

最近、もしこれを絶対に書くと決めたなら、その意思が思ったより硬ければ、思ったよりもこの取り組みが長続きすれば、これはすなわち発心と言えるのではないか…… と思うことがある。
いや、別に悟りを得ようとしている訳でも、苦しみを手放そうとしているわけでもない。自分がちょっと面白いと思うから、みんなも面白いと思ってみて欲しい、そのぐらいのものである。

ただ、自分は一時期、本当に苦しいときに般若心経に精神的にハマっていたことがある。般若心経を咀嚼する中で、当時の私は痛みが多少和らいだだろうか。よく分からない、もうその時の感情は忘れてしまっている。
けれど、もし私が本を書くことで、知らない誰かがすっと楽になれることがあるならば、それは本当に嬉しいことだ。

……この気持ちはもしかして、大慈悲心(すべての生きとし生けるものを救いたいという気持ち)!?やっぱり、発心しちゃってるってこと??