yoshiakist

自分のための贈り物

毎年、遠くに住む息子の誕生日に本を贈っている。
息子と言っても血縁上の繋がりがあるだけで、親権は無い。ただ養育費を振り込んでいるだけで、何も父親らしいことはしてやれていない。罪滅ぼしにもならないことは承知で、それでもこうやってプレゼントを包んでいる。もはや、完全に自分を満足させるための行為といえる。

去年は乗り物や機械が動く仕組みについての図鑑をいくつか贈ったが、今年はScratchというプログラミング言語に関する本を何冊か選んだ。一般的な感覚では小学1年生でプログラミングを扱うのは早いのかもしれないが、いまの時代はもう早いも遅いも無いだろう。
そういえば私が小学生だったときは、3年ぐらい先の算数の本を読んでいた記憶がある。息子も、自分でいつ何を読むかぐらい自分で決めていけるといいと思う。

世の中のコンテンツを消費するだけでなく、何かを創り出す人間になるためにはまだPCスキルが必要だ。
ただ、プログラミングに関する本を贈って向こうの家にPCが無ければ…… 追加でPCも送る必要があるかもしれない。あるいは、月に一つずつPCのパーツが届く、デアゴスティーニ感覚でやることも考えられはする。いや、さすがに身勝手過ぎるか。
多分、実行環境としてはSurfaceあたりが一番丁度良いだろうか。それはそれでつまらなすぎるプレゼントなので、誕生日に送るのはNGだな。

ときに、本に手紙を添えて送るのはなかなかに骨が折れる作業だ。
書店で良さそうな本を選ぶのに2時間ぐらい。手紙の文面を考えるのに1時間。普段書きなれない長文を直筆で書くのに、下書きを含めて2時間。本のラッピングに悪戦苦闘すること1時間。クロネコヤマトの営業所に行って配送の手配。
結局、行動を起こしてから発送手続きが終わるまでまる二日ぐらいかけている。

建前上は、遠くからいつも君のことを考えているということを伝えるため。でも実際のところは、何とか自身の心情と折り合いをつけるための、自分のための贈り物だ。
もう何も関わりが無い血縁上の息子に対し、私が何かを願う権利はないだろう。それでも、彼が多くを学び、健やかに育つことを願わずにはいられない。