yoshiakist

ビギナー県民、訓練されすぎ県民

夏だ。独特の水分を含んだ熱気に晒されるが、時折涼しい風も吹いてそれがなんとも心地よい瞬間がある。7月に入ってからは天気もずっと安定している。
そういえば去年の秋ごろにあった台風はなかなかに強烈で、引っ越ししたての私にはいかにも「沖縄の洗礼」かのように映った。
ひとつの台風が本島の東から西に通り抜け、そのまま台湾の方へ行くと思いきやぐぐっとブレーキをして、また戻ってきた。台風の往復ビンタをくらったのは流石に生まれて初めてだった。

あの時はちょうど住んでいる地域に線状降水帯が形成され、土砂崩れなどのリスクからか避難令が出た。避難警報ではなく、避難「令」。つまり、字面通りに避難しなくてはならない!と、当時純粋だったビギナー県民は思ったのだ。
慌てて引っ越しの時にもらったハザードマップを引っ張り出し、真剣に見直す。たしかに住んでいるマンションは土砂崩れの警戒地域に該当している。2階にある住居は大丈夫でも、車が被害を受ける可能性だってある。
雨具と最低限の食料を集めて、暴風雨でずぶ濡れになりながら車に乗り込んだ。辺りは真っ暗で、車でなんとか進もうにも激しく叩きつけられる雨で見通しが無く、市役所まで向かう坂道が恐ろしかった。

なんとか市役所に辿り着いて、地下駐車場に停める。人の気配は殆ど無い。家を出るのが早すぎたのか。いや、すぐにいっぱい人が来て混雑しだすに違いない、迅速で良い判断だったはずだ、などとあれこれ考えながら室内に入る。

通路の曲がり角に受付と思わしき机が設置してあり、係の人が一応待機している。周りにそれ以外の人はいない。話しかけると「避難の方?ですか?」となぜか訝しげに訊かれる。避難じゃなかったら何か、面接にでもくるというのか。
記入のために名簿を見ると、私より前にはわずか2世帯分しか記載されていない。住所を記入し終わって見せると、
「あの、おうちが土砂崩れに遭われた……んですか?」
とさらに尋ねてくる。いや、万が一そうなっても大丈夫なように避難するものだろう。
聞くと、リスクが高いとかではなく、既に被害に遭われた方が来ているのだという。体育館みたいなところですし詰めになるのかと想像していたが、ゆったりとした和室に案内された。普段休憩室として使われているのだろうか、中には一応キャンプにも使えるようなテントが設置してある。部屋には当然、誰もいない。

避難所にたどり着いたのになんとなくバツが悪そうに30分ほど過ごしていると、何やらにこやかでフレンドリーなおじさんが話しかけてきた。
お疲れ様です、どうされましたか、いやぁ大変ですねぇ、人がいないって?みなさん結構そんな感じですよ、はっはっは…… などと、バァーッと一気に喋っていく。
なんだなんだと思って呆気に取られていると、最後に「わたくし、市長の松本と申します」ときた。隣に住んでるおっさんみたいな感じで話をしていたものだから、完全に油断していた。フランクな首長もいたものである。

結局そのあとは避難者が一切増えることもなく、1時間ほどしてすごすごと市役所を後にすることになった。完全に肩透かしをくらった形となったが、事が起こってからでは遅いのだ、良い避難訓練になったのだ、ということにして自分を納得させた。
今年は避難訓練…… いや避難など起こらなければ良い。家でじっとしていて大丈夫ならそれが一番だ。こうやってビギナー県民は少しずつ訓練され、やがて一人前の沖縄県民となっていくのかもしれない。